薩摩琵琶とは|薩摩琵琶の歴史・特徴

このページについて
このページは、琵琶行舎を運営する平野典子が、須田誠舟先生のもとでの稽古、参照した資料、演奏実践を通じて学んだ内容を、自身の理解に基づいて整理しているものです。
薩摩琵琶に関する伝承や解釈は、流派、系統、時代、奏者、資料によって異なる場合があります。そのため、ここに記す内容は、唯一の正解や公式見解を示すものではありません。
また、琵琶行舎および平野典子は現在も学びの途上にあります。特定の教えや伝承を専属的に継承する立場ではなく、多くの門下生の一人として稽古を重ねながら、学び得た内容を記録として整理しています。
薩摩琵琶とは
薩摩琵琶は、薩摩に伝わった盲僧琵琶を源流とし、戦国時代、島津家のもとで武士の心身の修養と士風を養うための「教育の具」として発展した語り音楽です。
もとは宗教儀礼と結びついた琵琶でしたが、島津忠良(日新斎)の時代に、士気を鼓舞し、心を鍛え、道徳を養うための芸として用いられるようになったと伝えられています。
薩摩琵琶は、単に物語を伴奏する楽器ではありません。詞章、声、撥、間、そして身体の構えのすべてによって、歴史上の人物や出来事の精神を現代に立ち上げる「語りの芸」です。
薩摩琵琶の源流と「常楽院」の設立
琵琶は、古代ペルシャに源を持つとされ、シルクロードを経て東アジアへ伝わった弦楽器です。日本では、雅楽に用いられる楽琵琶、盲僧による盲僧琵琶、平家物語を語る平家琵琶など、目的や場に応じて複数の系統が展開しました。
薩摩琵琶の直接の源流にあたるのは、薩摩に伝わった盲僧琵琶です。伝承によれば、盲僧琵琶は6世紀、欽明天皇の時代に九州へ伝わったとされています。その後、鎌倉時代初期、島津家初代・忠久公が薩摩に下向する際、島津家の祈祷僧として宝山検校が同行し、吹上の地に常楽院を建立したと伝えられています。
常楽院は、薩摩における盲僧琵琶の重要な拠点となりました。この時期の琵琶は、現在知られるような勇壮な語り物としての薩摩琵琶ではなく、宗教儀礼や経の読誦と結びついた琵琶でした。
島津忠良(日新斎)による楽器の改良と「士風」の確立
薩摩琵琶の原型が整えられたのは、16世紀、島津家中興の祖といわれる島津忠良、号して日新斎の時代とされています。日新斎は、盲僧が宗教儀礼に用いていた琵琶を、武士の情操を陶冶し、士気を鼓舞するための「教育の具」として活用しようとしました。そして、常楽院の寿長院に命じ、楽器の改良を行わせたと伝えられています。
従来の琵琶は六柱でしたが、これを四柱とし、柱を高くすることで、柱の間を押さえて音の変化を出せるようにしたとされます。また、腹板を凸面にすることで、声と言葉を支える、より強く大きな響きを生み出したといわれています。日新斎自身も、『武蔵野』『迷悟もどき』などの教訓的な琵琶歌を作り、琵琶を士風を養うための芸として位置づけました。
こうして薩摩琵琶は、宗教儀礼に用いられた盲僧琵琶を源流としながら、武士の修養、士気の鼓舞、道徳の涵養と結びついた、独自の語り音楽として発展していきます。
武威を語る「崩れ」の誕生
江戸時代初期には、島津義弘、島津家久ら歴代藩主の時代を経て、薩摩琵琶歌の表現領域はさらに広がっていきました。
義弘は、朝鮮出兵における合戦の様子などを琵琶に和して詠じたと伝えられています。また、『小敦盛』も義弘(別名島津兵庫』)作と伝えられています。
この時期、合戦の激しさや武将の勇壮さを語るために、「崩れ」と呼ばれる力強い表現が発展しました。崩れは、激しい場面を描くための詞章・節・撥の表現と結びつき、薩摩琵琶の勇壮な性格をいっそう強めていきます。
これにより薩摩琵琶は、士風を養う「教育の具」としての性格を保ちながら、先祖の武威や合戦の記憶を語り継ぐ、戦記物語の芸としても発展していきました。
江戸時代の変遷と武士による再興
江戸時代の薩摩琵琶は、長く薩摩藩内で伝承された独自の文化でした。
18世紀後半、島津重豪の時代には、江戸や上方の文化の影響も受けながら、叙情的な小唄や、文芸性を持つ創作合戦記などが作られるようになり、薩摩琵琶歌の表現はさらに広がっていきました。
一方で、幕末になると、外国船が薩摩近海に現れるなど、藩内を取り巻く情勢は緊迫していきます。そのような時代の中で、武士たちは改めて琵琶を手に取り、古来の士風を重んじる力強い語りと奏法を求めるようになりました。
これにより薩摩琵琶は、士風を養う芸としての性格を再び強め、明治以降に鹿児島の外へ広がっていくための基盤を整えていきました。
明治以降の広がりと代表曲『城山』
明治維新後、薩摩出身者の活躍とともに、薩摩琵琶は鹿児島の外へも広がっていきました。東京や鹿児島では琵琶会が催され、名手たちが集まり、演奏と研鑽の場が作られていきます。
明治期には、鹿児島の上町で毎月のように琵琶会が催され、上町は薩摩琵琶の中心地の一つとなりました。名手たちは互いに研鑽し、親睦を深めながら、薩摩琵琶の技と精神を受け継いでいきました。
また、明治14年には、西幸吉や吉水錦翁が明治天皇の前で御前演奏を行ったと伝えられています。こうした機会を通じて、薩摩琵琶は藩内に伝わる士風の芸から、近代日本の中で広く知られる演奏芸能へと歩みを進めていきました。
この時期、勝海舟が西郷隆盛の最期を悼んで作詞した『城山』は、薩摩琵琶を代表する曲の一つとなりました。のちに高崎正風が一部を補ったとも伝えられ、現在も薩摩琵琶の古典曲として演奏されています。
『城山』は、戦いや死を単に勇ましく語る曲ではありません。歴史の中に生きた人の覚悟、敗れゆく者の姿、残された者の思いを、声と撥によって立ち上げる曲です。その勇壮さと哀切さは、薩摩琵琶が持つ語りの力をよく示しています。
薩摩琵琶正派について
薩摩琵琶正派とは、薩摩に伝わる古典的な型、詞章、節、撥法、そして士風を重んじて受け継ぐ流れです。
明治以降、薩摩琵琶は鹿児島の外へ広がり、演奏の場や聴衆の変化に応じて、より華やかな表現や新しい流派も生まれていきました。その中で、薩摩に伝わる古い型と精神を重んじる流れが、薩摩琵琶正派として受け継がれてきました。
正派が大切にするのは、派手な技巧や音数の多さではありません。低音の余韻、撥の間合い、声の置き方、詞章の扱い、そして奏者の心身の構えです。その美学は、「梅の古木に花一輪の風情」ともたとえられます。華やかに咲き誇るのではなく、古木に一輪だけ咲く花のように、簡素でありながら深い品位を持つ芸を理想とします。
薩摩琵琶正派で用いられる琵琶は、四絃四柱を基本とします。大きな撥で弦を弾き、時に胴を打つように鳴らす奏法は、単なる伴奏ではなく、言葉の切れ、沈黙、緊張、決意を支えるものです。琵琶は語り手の身体と一体となり、詞章、声、撥、間によって物語を立ち上げます。そこに、薩摩琵琶正派の特徴があります。
他の琵琶の流れ
日本の琵琶の諸系統
日本の琵琶は、その用途や発展の経緯によって複数の系統に分かれます。
楽琵琶
楽琵琶は、雅楽の管絃合奏に用いられる琵琶です。琵琶は古代ペルシャ、現在のイラン周辺に源を持つとされ、シルクロードを経て東アジアへ伝わりました。楽琵琶は、その流れをくむ琵琶として、日本では雅楽の中で用いられてきました。語り物の伴奏ではなく、合奏の中で音の響きやリズムを支える役割を持ちます。四絃四柱で、奏者は楽器を水平に近い角度に保持し、撥で静かにかき鳴らすように奏でるのが特徴です。
盲僧琵琶
盲僧琵琶は、盲僧が地神経などの経典を読誦する際に用いた琵琶で、薩摩琵琶の直接の源流にあたります。九州へは、6世紀頃に伝わったとする伝承があります。当初は「笹琵琶」と呼ばれる小ぶりで細身の楽器が用いられ、宗教儀礼や祈祷と深く結びついていました。薩摩では、島津家との関わりの中で、次第に武士の修養や教化の芸へと展開していきました。
平家琵琶
平家琵琶は、『平家物語』を語るための琵琶です。平家琵琶の伴奏で『平家物語』を語るものを、平曲、または平家と呼びます。平安時代末期から鎌倉時代にかけて、盲人の琵琶法師たちによって語り継がれ、物語の詞章と節調を厳格に伝える伝統が形成されました。楽器の形は楽琵琶に近いものですが、語り物としての『平家物語』を支えるために用いられてきました。
薩摩琵琶の流派と近代の展開
薩摩琵琶(正派・せいは)
薩摩琵琶正派は、薩摩の盲僧琵琶をもとに、戦国時代、島津忠良(日新斎)のもとで、武士の修養と士風を養う「教育の具」として改良・発展した流れを受け継ぐものです。楽器は四絃四柱を基本とし、大きな扇形の撥で胴を打つような力強い奏法や、語りの緊張感を重んじます。その美学は、明治の名手・須田伝吉によって「梅の古木に花一輪の風情」とたとえられたといわれます。派手な技巧よりも、低音の余韻の中に宿る幽玄、品位、精神性を理想とします。
薩摩琵琶(錦心流・きんしんりゅう)
錦心流は、明治末期に永田錦心によって創始された薩摩琵琶の流派です。永田錦心は、伝統的な薩摩琵琶の教化的性格を受け継ぎながらも、より多くの聴衆に届く芸術音楽としての琵琶を追求しました。都会的で華やかな節回しは東京で人気を博し、薩摩琵琶の全国的な普及にも大きく関わりました。正派が「梅の古木」と称されるのに対し、錦心流は技巧的で華やかなスタイルから、「萩の花の匂いこぼるる風情」と位置づけられています。
筑前琵琶
筑前琵琶は、明治時代に橘智定、のちの旭翁らによって、筑前盲僧琵琶を母体に、薩摩琵琶や三味線音楽などの要素を取り入れて成立した琵琶です。薩摩琵琶に比べて胴がやや小ぶりで、表板に桐を用いることで、柔らかく優美な音色を持ちます。三味線の奏法に近い繊細な表現も可能で、語り物として広く親しまれました。
錦琵琶
錦琵琶は、水藤錦穣によって創始された流派、およびその楽器です。錦心流の音楽性をさらに発展させ、伝統的な四絃四柱から、より複雑な旋律を奏でやすい五絃五柱へと楽器を改良しました。薩摩琵琶の剛健さに、三味線のような情緒的で洗練された音色を融合させたところに特徴があります。
鶴田流琵琶
鶴田流琵琶は、昭和期に鶴田錦史によって確立された流れです。錦心流から出発した鶴田錦史は、独自の奏法と五絃五柱の楽器を駆使し、武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』に代表される現代音楽との融合を成し遂げました。伝統的な語りの枠組みを越え、音そのものの響きや現代的な表現力を高めたことで、琵琶の可能性を世界に示しました。※薩摩琵琶の変遷と鶴田錦史の功績を尊重し、琵琶行舎では「鶴田流琵琶」と呼称しています。
琵琶行舎の立場
琵琶行舎では、薩摩琵琶を単なる「古い楽器」ではなく、言葉と音によって歴史を語り継ぐ生きた芸として捉えています。それぞれの琵琶の流れを尊重しながら、薩摩琵琶正派と平家琵琶を、貴重な資料、先達の稽古、伝承に基づいて学び、記録し、次代へと伝えていきます。
参考資料
越山正三『薩摩琵琶』薩摩琵琶同好会監修
島津正『江戸以前 薩摩琵琶歌』ぺりかん社
その他、薩摩琵琶関する稽古資料、伝承資料、および須田誠舟先生のもとでの稽古内容を参照
